私の母は79歳の時に検診で乳がんが見つかりました。既に大きくなっていて肺に転移していたので手術はできず、抗ガン剤も年齢と体力の点で使えません、それぞれは小さいけれど転移が広範囲だったので放射線も無理で残されたのはホルモン療法でした。幸いなことにそれがよく効く母でした、ガンが見つかって入院し、ホルモン療法でみるみるガンが小さくなった2ヶ月後には退院しましたが、その直前に主治医からホルモン療法はいつか効かなくなる日が来ると知らされてもいました。その言葉通りに1年半後にはガンが再び大きくなり始めたので再入院、ホルモン療法も効かず、他にガンを抑える手立てがないので痛みなどを抑える対症療法だけという状態。そんな憂鬱な日々を過ごす母の唯一の楽しみは車イスでの外出、主治医の許可を得て近くのモールへ家族とお昼を食べに行くことでした、最初のうちは毎週、そのうち体力がなくなってくると隔週になり、ガンが皮膚を破って胸の一部に拡がった頃には月に一度がやっとでした。本人を悩ませたのは痛みもさることながら匂いです、ガンの部分から悪臭の強い黒っぽい血膿が出てガーゼや下着を汚すのです、ですが家族は誰も匂いなど気が付かないフリをしました、母本人もそうです、母はガーゼとフィルムを貼り付けてぴったりと封をしているので自分が口にしなければ匂いは誰も気付かないだろう、いや、気付かなくていてくれるだろうと思っていたのだと思います。最後に皆で母と一緒にモールへ行く途中のこと、薬の効果で痛みはだいぶ軽くなったという母を乗せた車イスを押しているとハエが胸のあたりに寄って来るのでした、手で追ってもまた寄って来て、追っても追ってもまた寄って来るハエに母は泣き出してしまい病院へ帰りたいと言い出したので引き返しました、家族が匂いに気付かないのはそういうフリをしていたからだと母に気付かれたのです。80歳を過ぎて痛みに耐え、匂いをどうすることもできず、母は情けなく辛かっただろうと今思い出しても胸が痛みます。
- がんになってどう生きるかということ
- 2回乳がんになって思うこと